ドキュメンタリー女性写真家の草分け『常盤 とよ子』氏
写真展へ行ってきました

  
常盤 とよ子
  
今から9年前。
私は 女性写真家の草分け『常盤 とよ子』氏から
月に1度の写真クラブで、直接指導を受けていた。

  
昨日、日本大通りで開催されている常盤先生の写真展へ行ってきた。

圧巻だった。

肝が座っている。

見知らぬ人を撮るということ。
見ている私がドキドキしてしまうほどの
広角レンズでの接近。

これらは、被写体に近づかないと撮れない。
物理的にもそうだし、
メンタル的な距離感が、ものを言う。
ましてや赤線の女性たちを撮るには、撮り手は彼女らの懐に入り込まなければ、
決して撮れない写真達だった。

改めて、すごい。
と思った。

  
今でも写真クラブのときの会話を思い出す。

常磐先生:「あなた、どこに住んでるの?」

私:「野毛です」

常磐先生:「あら、野毛なの。
野毛にね、ふとん屋さんがあってね・・・」

私:「先生、それ、ウチです!!!」
  

常磐先生が、実家の店に来ていただなんて!
んもう、驚きでいっぱいでした。
  
そんな、野毛のふとん店も、今年取り壊されて
今は更地になっています。

先生 指導の元 写真展が開催された横浜市教育文化センターも
新しい建物へと工事中。
  

今になって、つくづく思います。
先生が撮った横浜の歴史写真は、本当に貴重だということを。

インタビュー映像が流れていた。

常盤とよ子先生だ。
今から2年前のものらしい。
そうすると、今は先生、90歳か。。。

写真ていうと、きれいなお嬢さんにね
お洋服着せてスタジオに連れてきてね、
ライトで、撮影するという写真が多かったですよ。
そいうものではないものを撮った。

いやー。
参ったな。

先生、すごすぎた。

そして、改めて思う。
私は、ものすごい写真を撮ってきた人に習ったのだな、ということを。

9年前の当時の日記です。
「『危険な毒花』の、常盤 とよ子先生から写真指導 受けてます」2009/10/28

奥村泰宏・常盤とよ子 写真展 戦後横浜に生きる

1945(昭和20)年8月の敗戦後、横浜は都心部を中心に各所を占領軍に接収され、数万の兵士が駐留する基地の街となりました。この時期の横浜市内を数多く撮影したのが、奥村泰宏氏(1914-1995)と常盤とよ子氏(1928-)夫妻です。奥村・常盤両氏の撮影した写真は、戦後の横浜に生きる人々の諸相を克明に記録したものであり、芸術的価値のみならず、資料的価値が極めて高いものであるといえます。本年、常盤氏の姪にあたる栗林阿裕子氏を通じ、奥村・常盤両氏が撮影した膨大な数に及ぶ紙焼写真・ネガやカメラなどの資料が当館に寄贈されることになりました。本企画展ではこれを記念し、奥村・常盤両氏の写真とともに関連する歴史資料も展示し、戦後横浜の様々なテーマについて紹介をします。

奥村泰宏・常盤とよ子 写真展 戦後横浜に生きる

開催場所 横浜都市発展記念館
みなとみらい線「日本大通り」駅3番出口より徒歩0分

 
【新聞記事】

 

朝日新聞 2018年10月13日 企画特集 3【神奈川の記憶】 (129)「戦後横浜に生きる」展

■占領下、傷ついた街と人々

◇社会の影に迫った写真家夫妻

 横浜都市発展記念館(横浜・日本大通り)で開催中の「戦後横浜に生きる」展は、敗戦の焼け跡から立ち上がる横浜に焦点を当てた企画だ。追っているのは街の姿にとどまらない。何よりも印象的なのは、その街に生きた人々の姿だ。

 横浜を拠点に活躍した写真家の奥村泰宏さん(1914~1995)と常盤とよ子さん(1928~)夫妻の作品で展示は構成されている。ともに県写真作家協会の会長をつとめた夫妻の膨大な作品や資料が記念館に寄贈されたことを受けての企画だ。

       *

 奥村さんは、米軍の占領で変化する横浜の街にカメラを向けた。立ち並ぶかまぼこ形の兵舎を収めた一枚は、福富町から吉田町というから伊勢佐木町近くの一等地を写したものだ。46年9月段階で横浜市内では921ヘクタールが接収されていた。中区は35%に当たる392ヘクタールが接収された。山下公園には将校宿舎が、伊勢佐木町の裏には小さな飛行場まであった。

 駐留の米兵は9万4千人に上った。「ヨコハマは米軍がウヨウヨする街となりました」と奥村さんは書き残している。英語の看板が並ぶ目抜き通りを米兵やその家族が歩くといった写真も多い。駐留兵を目当てに日本人も横浜に集まってきた。「パンパン、浮浪児、風太郎、ルンペンが彷徨(ほうこう)」するようになったと奥村さんが記した街の様子も数多く撮影している。

 常盤さんは働く女性の姿をカメラに収めた。美容師や看護師、女子レスラーに始まり、しだいに夜の街で働くダンサーやヌードモデル、米兵を相手にする女性など偏見の目で見られた人たちへと迫った。

 それが好奇心からではなかったことが、夫妻の作品の意味を深めている。

 奥村さんは戦災で被害を受けた人たちを救済する社会活動に身を投じた。46年12月には中区の神社の境内にボーイズホームを建設し、戦災孤児や行き場のない子どもの保護に乗り出した。47年に日本厚生団が設立されると専務理事に就任。そうした活動を通して直面、目撃した〈社会の影〉を撮影した。作品が強い社会性を帯びている背景だ。

 中区山手の聖母愛児園にはたびたび通った。占領軍兵士と日本人女性の間に生まれた子どもたちのあどけない姿を追っている。

 常盤さんの作品はさらに一歩、深い所へと踏み込んでいる。売春街の赤線地帯では、性病検査の様子まで撮影。採血される女性の表情は鮮明で、列を作る女性の数の多さに驚く。

       *

 企画を担当した調査研究員の西村健さんは「2人の作品は美術として評価されてきましたが、横浜の戦後を示す歴史資料としても価値が高い」と説明する。

 ボーイズホームで始まった活動は茅ケ崎の子どもの園へと引き継がれている。そこには戦後の混乱期を伝える資料が残っていた。どのような経緯で孤児になったかといった調書の類。さらに、どのように生きてきたのかを子どもたちがつづった作文もあった。それらも展示されているが、「こんな物が残っているとは。驚きました」と西村さん。

 そうした厳しい幼少期を過ごした人たちの話も西村さんは聞いている。「成功した人もいるのですが、そうでない人も多いようで気がかりです」という。

 横浜空襲で奥村さんは家を失い、常盤さんは父親を亡くしていた。写された人だけでない。写した人も戦争によって深い傷を負っていた。そんな時代があったことを夫妻の作品は教えてくれる。

 12月24日までの開催。

(渡辺延志)

東京新聞 2018年10月7日 戦後の横浜 克明な記録100点 奥村・常盤夫妻の写真展、中区で開催

なんだか、無性に野毛が撮りたくなってきた。
野毛の街を。そしてそこに棲む人々を。

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