今朝、起きたら、いきなり言葉のシャワーが脳内に降ってきたので、
あわてて起きぬけにパソコン開いて打ってます。
私が七五三出張撮影をしていくなかで
最大のミッション
それは、
――――――――――――――――――――――――
「親の愛情」という目には見えないものを、
写真というツールを使って
「これだよ」ってテーブルの上に差し出すこと。
――――――――――――――――――――――――
なんか。。。言葉にすると、チープだな(笑)
多分、写真業界では使い古されたフレーズそのもので
言ってて、安っぽすぎて、恥ずかしいわ
けれど、続けます。
七五三って3歳、5歳、7歳のお子様が主役だから
本人が写っている着物の晴れ姿や笑顔をおさえるのは
もちろんのことなのだけれど
私は
特に、ママ、パパがお子様へ向けている表情
これを、撮りたい。
撮るべきなんだって、強く思った朝。
七五三の依頼者は、パパ、ママだから
もちろん納品はパパ、ママの求めるものを撮らなくてはいけない。
パパママの願う写真というのは
「わが子のかわいい写真」
なのですよね。
うん。だけれど
私は、その先の未来を見据えて
「本人のための写真」
も撮るべきなんだと思っています。
それは
パパママと本人との関係性が伝わる写真
ということに尽きる。
七五三の主役は、お子様。でも
ワタシ的には、親御さんが写真の主役くらいの勢いで撮っている。
実は、脇役であるママ・パパが重要なキーとなっていることに
気づいてほしくて、知ってほしくて書いています。
冒頭の写真は、甥っ子5歳の七五三写真。
袴を着付けしてもらい伊勢山皇大神宮へ向かう車内で
まだ神社に着いてもいないのに着物を脱いでしまって
家族全員が「あーあ」という、どんよりとした雰囲気になってしまった
会食レストランにて。
確かに、着物を着て、きちんとした写真は撮れなかったかもしれないけれど
私は、どんなにきちんとした七五三写真よりも
この写真が好きだ。
これを撮った、10年前の私を、
褒めてあげたい。
インナーチャイルドと、歪んだ認知
先日、私自身、触れてほしくなかった封印されたものが
解放された体験がありました。
それは、友人とのやりとりから。
「しいちゃん、親子の関係性、インナーチャイルドに何かあるよ。」
それに対して
「うん。それ分かってるよ。
愛着に問題あるって、知ったの。
わかってるよー。
アダルトチルドレンとも言うよね。」
って、即座に返答した私。
一見、冷静に返答したテイだったけれど。
実際の私は、ものすごく動揺した。
友人から、私の一番触れてほしくないことを指摘されたから。
私の両親は自営業をしていて
目に見える愛情表現が薄い親だった(と、当時は思い込んでいた)
運動会だって来てくれた記憶がないし
一緒に買い物に行ったことも
旅行へ行ったことも数えるくらいだったし
抱きしめられて、よしよしってされたことも少なかったし
親に甘えるということができなかった
とにかく「巷で繰り広げられる「分かりやすい愛情」というものを受けないで育ってきたんだと思う。
だから、私はインナーチャイルドに傷がある
自己肯定感が低いのは、そのせいなんだって、ずっと思い込んでいた。
※インナーチャイルドとは幼少期に傷ついた自己の記憶です。
でね、アダルトチルドレンっていうワードを
自分から発したわけだけれど、
その定義を確認しようと思ってもう一度調べたんです。
そうしたら
「あれ?そうでもないぞ」って思ったの。
え、じゃあ、私はインナーチャイルドが傷ついていたよね
って自分に聞いたら
「そうでもないかも」という心の声がしたので
自分自身、すっごくびっくりしたんです。
あれれ(・ω・)っていう感じで
拍子抜けのような。
私がインナーチャイルドという言葉を知ったのは9年前くらい。
(このブログで遡ってみたら2014年の記事に書いてた)
あれからずっと、私には親から(特に母親)の愛情が欲しくて欲しくて
たまらなかった
もう、これは「飢え」とか「執着」に相当するものだったから
母親がこの世からいなくなるのが、私の人生最大の恐怖だった。
その母が、2年前に突然亡くなって
ようやく今。
「母から愛情を向けてもらえなかった」
という無いことへのフォーカス
から、
「私は母からこんなにも愛情をもらっていた」
という有ることへのフォーカスができるようになっていたことに、
気づいたんです!最近(笑)
大学の専攻は心理学だったけれど
もう一度 心理学を学ぶために2つの講座で学び中ということと
また、個別のサイキック セッションなども受けて、
盲点だったものが見えてきたというのも大きいです。
最近は、フラッシュバックのように母とのシーンを思い出すことがあります。
その度に母からの愛情を再確認し、
私のゆがみきった「思い込み」を
ひとつひとつ上書きしている最中です。
ということで、前置きが長くなりましたが
私が何十年も抱えてきた歪んだ思い込みは
無くなっていることに びっくりした今日でした。
そしてさらに。
今まで答えが見つからず先送りしていた問いー。
「存在としての自己肯定感」を感じさせてくれる写真とは
一体どんな写真なんだろう
っていう自問自答も
溶けた気がします。
2022年の9月に、こちらのブログを書いたものの
「写真でほめる」のではなく
「存在としての自己肯定感」を表現できる写真が撮りたいなあ
と、思ってたのです。
でも、どういう写真を撮ればいいのか
自分でも分からず、先送りしていたのです。
今朝、分かったような気がしました。
1年かかりました・ω・
私が撮りたいもの
撮るべきもの
それは、
「存在としての自己肯定感」を感じさせてくれる写真
つまり。
それはどういう写真なのかというと、
「親の愛情がにじみ出ている写真」
ということだ。
「親の愛情」というのは、見えないから
まだ未熟な幼少期は時として歪んだ思い込みをしてしまうものなのかもしれません。
でもパパ・ママの眼差しが自分に向けられている写真(= カタチ)が1枚あったら
もしかしたらその歪みは
一瞬で修正されるんじゃないか
とも思うわけです。
私のように「愛されていない」っていう歪んだ思い込みを
持ち続けなくて済むように。
1枚の写真が、もしかしたら
あなたの助けになるかもしれません。
結論。一体、私は誰のために七五三写真を撮るのか
わたし。
依頼者のパパ・ママを超えて
その先の。。。
何年後の「あなた」のために、
写真を撮るよ。
2023秋の 七五三出張撮影、受付中です。
この写真たちが、あなたのかけがえのない宝になりますように・・・
👘七五三出張撮影プラン 撮影ヒアリングシート ✉お問い合わせ
私の痛いところを揺さぶった
揺らし隊である、友人。ありがとう。
ここまで気づくことができたよ。
写真をうだうだ説明するのはナンセンス
という意見もあるかと思う。
だけれど、これから私は今まで「カラダ感覚」で撮っていたものを
言語化して、後進に伝えていかなくっちゃというフェーズに入った気がします。
同じ志を持った方と、一緒にお仕事できたらと思ってます。
スタッフ募集に興味のある方、ご連絡ください。