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創業84年「濱新」閉店 老舗の味にしばし別れ

去年の夏、小学校の同窓会を、横浜の吉田町『濱新』で開催♪しました。
地元で残って商売をしている率高し。
・・・その後も、小学校のプチ同窓会は何度か開催され
5月にはさらにBIGな同窓会開催も企画中。
本当にみんな地元LOVEなのね。
濱新
わーい。創作料理だ。
やさしいお味。

うなぎは、ふかふかでおいしかった~。

創業84年。そんな、歴史ある料亭の『濱新』が3月3日に閉店し
そして、また新たな地で、『濱新』の味は引き継がれます。

震災で損壊創業84年「濱新」閉店 老舗の味にしばし別れ
東京新聞 2013年2月8日
 昭和の風情を残す横浜市中区の吉田町で創業八十四年を誇る老舗日本料理店「濱(はま)新」が、三月三日に閉店する。東日本大震災で店内が激しく損傷したためで、市内で移転先を探しているが、再開場所や時期は未定という。(志村彰太)
 濱新は現在の店主・山菅浩一朗さん(42)の祖父一栄さん(故人)が開業した。一栄さんは栃木県の工場で働いていた際、誤って左手の指三本を切断。「片手の指がなくても、料理はできる」と横浜へ来て一九二九(昭和四)年に店を構えた。
 太平洋戦争の横浜大空襲で店舗が焼け、店のあった場所は戦後に接収されたが、ウナギのかば焼きのタレや、ぬか床などは地面に埋め、近くに仮店舗を開設することで味を守った。接収解除後、元の場所に戻り、現在に至っている。有名人の常連も多く、美空ひばりさんも好んで通っていた。最近では、横浜F・マリノスの中村俊輔選手も訪れるという。
 今は浩一朗さんと、父の武司さん(82)が二人で切り盛りしている。浩一朗さんは「時代とともに店の方針も変わってきた」と話す。当初は定食屋だったが、高度成長やバブル崩壊に合わせて、フグやウナギを前面に出すようにした。ただ、つぎ足しながら使い続けているかば焼きのタレや、天ぷらをオリーブオイルで揚げる調理法などは、創業当時から変わっていない。
 しかし、二年前の大震災で築五十年を超える建物は大きなダメージを受けた。「二階の柱にはひびが入り、床はゆがんだ」。修理には多額のお金が必要で、時間もかかる。かねて「もっと小規模な店でお客さんと距離を縮めて、親しみやすくしたい」と考えていたこともあり、吉田町を離れることを決めた。
 閉店を知った常連からは「親子三代で通っていた」「結納をお店でやった」などと、惜しむ声が相次いで届いた。
 浩一朗さんは「七月までには再開したい。伝統を守りながらも、殻を破って新しいものを提供したい」と話している。

山菅くん、お疲れ様でした。
そして、新たな旅立ちおめでとうございます!
また新天地にて おいしい料理を振舞ってください。

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