篠山紀信展。
後藤繁雄氏(編集者/本展企画者)×篠山紀信氏の
トークイベントに行ってきました。
トークで、篠山氏が語った言葉が印象的でした。
大原麗子の写真もジョンレノンの写真も、
撮った直後に亡くなった。
自分が撮ると遺影になる。
篠山が撮ると縁起が悪いってことになるから
とジョークをとばしつつ。
「でも、写真家とはそういう瞬間に立ち会う宿命だということ」
という言葉。
展示会について GOD:「鬼籍に入られた人々」より
展覧会は既に亡くなった人々の面影から幕を開けます。
被写体は誰もが知っている有名人。
いずれの被写体もすでにこの世にはいないものの、
篠山の写真のイメージによってその面影が鮮烈に浮かび上がります。
篠山は、写真家は往々にして「時の死」の立会人だと言います。
それはみずからの活動を省みての発言であると同時に、「写真」というものの本質
─ 撮られた瞬間から「過去」のイメージであることを宿命づけられている ─
についての洞察と言えるでしょう。
篠山氏が撮ったから死んでしまう
という縁起が悪いものではなくて
もしかしたら。
魂が、「記録して。後世に残るような写真を残して欲しい」
と言って篠山氏を選んだのかも。
と考えてしまいました。
私も、遺影を撮るようになって
「生前から遺影を撮るなんて縁起が悪い」
と思われる方もいると思う。
でも、これは「お役目」だと思ってる。
勝手にね。