超ブサイク顔で大泣きしているこの写真。
これ私です!
何十年も本棚に眠っていた古くて重いアルバムの中から出てきた写真。
昭和感がたまらないわ~。
一瞬、これはどこの部屋だろう?って分からなかったけれど
兄の学習机だと分かった。
兄が小学1年生で、私は3歳かな。
写真セオリーからすると 水平垂直は曲がっているし、
決してきれいなものではない。
他に写真館のプロが撮ったきれいな写真もあったけれど
この写真には到底かなわないって思った。
兄にちょっかい出されて大泣きしてる私。
泣いている私のそばに母がいて、
そして撮影者は、亡き父だ。
写真には写っていないから見えないけれど、
父が「おもしろがって」撮影している姿がリアルに目に浮かぶ。
私がこの世の終わりの泣き方してるのに
父はきっと笑ってる。
「この世の終わり」の写真なのに、
なんて幸せなんだろうって、
そして。
この後両親は私を抱きしめて、
よしよしって なぐさめては
くれなかったけれど(そういうキャラじゃない)
私はすっごく愛されていたんだな
って、しみじみ思った。
抱っこして、ギューって抱きしめられて よしよし
ってされるだけが
愛情じゃないんだね。
笑顔の写真だけが
幸せを現すものじゃ ないんだね。
この一枚の写真が、
何年も経って今、
私に教えてくれたのです。
しいれいフォトが目指す「ナチュラルポートレイト」の
お手本のような写真。
父はなんて 粋なプレゼントを、
私に残してくれたんだろう
って今、浸っています。
しいれいフォトがめざす
ナチュラルポートレイト=ドキュメンタリー撮影について
「自宅に来て日常の写真を撮ってください」というご依頼をいただきます。
七五三や記念日の撮影ではポージングの指示をしたり
ある程度 型通りの写真もお撮りするのですが
ご家庭にお邪魔して日常の家族写真を撮る場合は、
極力フォトグラファーの私は前面に出ないように心がけています。
ご家族のいつもの表情や風景や空気感を壊したくない
からです。
私に気を使わなくていいんです。
お行儀良くしたり
変に笑顔を作ったりしなくて大丈夫。
怒ったり
泣いたりしてもいいんですよ。
2018年2月3日記事