サイトアイコン しいれいフォト|横浜の女性カメラマンによる出張撮影

横浜・野毛の隠れ家「武蔵屋」さん。本日、幕を閉じます。

 

 

行けども行けども、いつもお休み。
いつか行きたいと思ってた。

 

先代からの決まりで、3杯まで。
三杯屋とも呼ばれていた。

今日は、最終日。1杯のみです。

だから、一杯屋。。。

 

 

惜しくも閉店。
たくさんの方からのメッセージが寄せられていました。

 

ああ。また、野毛の「昭和」がなくなっていく。。。

でも、「ちぐさ」のように、熱烈なファンがいて
その意思を引き継ぐというケースもあるから。。。
と、ちょっと期待もしていたけれど、この平屋建ては、壊してしまうのだそう。。。

古きよき、野毛の下町文化。
さようなら。

そして、お疲れさまでした。
女性が長い間、お店を守るってこと、どんなにたいへんだったか。。。
その歴史を想うのです。

 
 

神奈川)客を気遣う人情酒場 野毛 武蔵屋 
横浜・野毛の名物居酒屋「武蔵屋」、31日閉店
朝日新聞 2015年7月23日

横浜・野毛で1946年から続いた居酒屋「武蔵屋」が、31日で閉店することになった。店主の木村喜久代さん(93)が「体がもう限界」と決めた。開店当時からの古い木造の店は売却され、取り壊される。

武蔵屋は大正時代、木村さんの父親の銀蔵さんが横浜港近くの酒屋の一隅で立ち飲みとして開店。戦災後に野毛に移ると、安くてうまい酒、庶民的なつまみ、酔客を平気で追い返す頑固なおやじを慕って、平山郁夫、青木雨彦ら文化人や船会社の重役らが通った。

1983年に銀蔵さんが亡くなると、木村さんが妹の富久子さん(91)や横浜国大の学生アルバイトらと切り盛りした。2012年に俳優の五大路子さんが舞台の題材にするなど、最近では古き良き時代の空気を味わいたい遠来の客も多い“横浜名物”で、林文子・横浜市長の感謝状も出た。

しかし、病に倒れた富久子さんが店を退いてからのこの数年は、木村さんも寄る年波に勝てず、週3日の営業が2日に減り、急な発熱で休むことが増えた。「足が痛んで数センチの段差を越えるのが一苦労だし、おからを煮た大鍋も持ち上げるのがつらい。おじいさん(父親)が亡くなって30年以上頑張ったので、少しゆっくりさせて下さい」と木村さん。

最終日の31日は、いつもより少し早い午後4時には店を開け、客たちと別れを惜しむという。(織井優佳)

2019/4/6 追記
作家 秋山 真志氏の追悼文。
大切に大切にしたい野毛の空気感。そうそう。この感覚。読んでいて、グワっと伝わってきた。
野毛がどんなにおしゃれになって、人気スポットになったとしても 忘れたくない。そっと、大切に憶えていよう。
素晴らしく、リンク貼らせていただきます。

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