サイトアイコン しいれいフォト|横浜の女性カメラマンによる出張撮影

BankARTへ行ってみる

師匠の教え子が学外展に選抜されたと言う話を聞いて BankARTへ行ってみることにしました。

BankARTとは、元銀行であった建物「Bank」を、芸術文化「ART」に利用するという

意味を込めた造語で「ばんかーと」と読むのだそうな。

横浜市の歴史的建造物を活用したクリエイター発掘場所とでもいうのでしょうか。

家から歩いて行けるし、以前から興味があったのですが、来たのは初めて。

  窓からは、赤レンガ倉庫が見えました。

    

レベル高っ!さすが、美術大学です。

      ん?田植え?

   あぁ、そういうこと!

さてさて。

師匠の教え子の作品は一体どこ?

等身大の本人の写真があるから直ぐに分かるって言ってたけど・・・

どれだろ?

 

え?

 

もしかして、これ?

一瞬、凍り付いてしまった。

 

それは、まぎれもないヌードだった。

実物大の。

俗っぽい言い方をすると、「ヘアヌード」そのもの。

私の後ろから次々と人が来て、口々に声を挙げてるのが聞こえる。

「うそだろ?うそだろ?」

「きれい」「どうやって伸ばしたんだろう」

みなの、驚きの声、声、声。

   ← この上方に等身大の彼女がデーンと展示されてる。

ショックと言うのかなんていうのか・・・

とにかく頭をひやそう。

   

展示室を一周してまた戻って見てみたりして落ち着かない。

「あのう・・・何か感じるものがありますか」

声がした。

監視役?で座っていた彼女がこの作品の本人だったのだ。

 

ちょっと話を聞いてみる。

 

溢れるばかりのメッセージ。

「360度の自分 」
・・・内面ばかりを探求してきたが外見はどうだろうか?
衣服という情報を脱ぎ捨て、ありのままの自分を360度を見てみたかった。

「コンプレックス 」
・・・足が太い、おなか出てるなど自分が気にするコンプレックスと言うのは人から見たらどう映っているのだろうか?

「存在の証明 」
・・・自分の目に見える世界が、たまにPCの画面を見るような無気力な感覚になる。機械的になるコミュニケーション、自分はこの世界にちゃんと存在しているのだろうか?

 

裸を見られるということに対する抵抗や恥ずかしさは?

って聞いたら、

「ないです」ってきっぱり。

人間の本来の姿であり、生まれる瞬間、死ぬ瞬間、愛し合う際になる姿だから

作品の中で恥ずかしさはないです。

 

 

 

帰り道、その作品のタイトル名を見るのを忘れたことに気づいた。

私だったらあの作品のタイトル付けを何てするだろう?って考えてみた。

浮かんだ答えはどれも陳腐なもので、ぴったりくるものは見つからなかった。

 

家へ帰ってから、展示作品リストを見てみる。

 

作品名は、「シラフ」だった。

 

うわ~。やられた・・・と思った。

 

~☆~

 

 

 

モバイルバージョンを終了